
Photo by Drum Corps International
ドリルデザインは、単にフィールド上に形を描く作業ではない。音楽と動き、感情や意味を結びつけ、観客に届く瞬間を創るもの。今回取り上げるのは、George Zingali(ジョージ・ジンガリ)。DCIのビジュアルデザイン史を語るうえで、避けて通ることのできない人物。1986年に行われた「George Zingali Clinic」をもとに、彼が語っているドリルデザインの考え方を読み解いてみたい。
ジョージ・ジンガリとは?
ジョージ・ジンガリは、DCI史上もっとも重要なドリルデザイナーのひとり。27thランサーズ、ガーフィールド・キャデッツ、スター・オブ・インディアナ、ブルー・ナイツなどで活動し、1970年代から1980年代にかけてDCIのビジュアル面を大きく進化させた。1991年にはDCI殿堂入り(Hall of Fame)している。
1983年のガーフィールド・キャデッツの有名な「Z-pull」、1984年の『West Side Story』のラストに突如現れるカンパニーフロント、1985年のスター・オブ・インディアナのビッグ・バッド・ウルフ、そして1991年の『Roman Images』のクロス・トゥ・クロス。これらは、今もDCIの歴史の中で語られ続けている。ジンガリのドリルは、単に複雑だったからすごいのではない。音楽と感情と視覚効果が一体になり、観客の記憶に残る瞬間を創っていたところに大きな意味がある。
ドリルは音楽を聴くことから始まる
クリニックの中で印象的なのは、ジンガリが「良いドリルを描くには何が必要なのか」という話を、技術論から始めていないところ。彼がまず語るのは、音楽を徹底的に聴くこと。音楽を何度も聴き込み、それが自分の中に入ってくるまで待つ。すると、カウントや小節を追う前に、音楽そのものから動きが見えてくる。
これはとても重要な考え方だと思う。ドリルは、音楽の外側に形を貼り付けるものではない。音楽の中にある流れ、重さ、緊張、解放、方向感を、フィールド上の人の動きとして立ち上げるもの。もちろん実際には、カウントがあり、セットがあり、間隔があり、楽器ごとの制約がある。だが、その前に音楽が身体の中に入っていなければ、ドリルはただの図形の移動になってしまう。ジンガリの言葉から見えてくるのは、ドリルデザインの出発点は「どう動かすか」ではなく、「音楽から何が見えるか」ということ。
作品に層を創る
ジンガリは、作品には「levels(レベルズ)」が必要だと語っている。ここでいうレベルズとは、単なる難易度や高さのことではない。ひとつの形に、いくつもの意味や見え方が重なって生まれる「層」のこと。たとえば、50周年のショーなら、フィールド上に「50」という形を描くことができる。ただ、それは単なる文字づくりで終わるものではない。作品のテーマや背景と結びついた意味をその形に重ねることで、ショーの中にもうひとつの層を創ることができる。
ドリルの形には、すぐに伝わるものと、あとから見えてくるものがある。ジンガリが大切にしているのは、その重なり。音楽の構造、作品のテーマ、フィールド上の形、パフォーマーの感情。それらが結びついた時、ドリルはただの移動ではなく、作品の一部になっていく。客席から一度見ただけですべてが分かる必要はない。むしろ、見れば見るほど別の意味が立ち上がってくるところに、ドリルデザインの面白さがある。
自由と制限の両方から創る
ジンガリの話には、自由に発想することの大切さが何度も出てくる。現実にはできないかもしれないこと、少し馬鹿げて見えること、普通なら言わないようなアイデア。そういうものを最初から消してしまうと、新しい表現は生まれにくい。一方で、ドリルには必ず制限がある。楽器の位置、音楽上の役割、前後のセット、カラーガードの見せ方、演奏や演技をしながら動ける限界、メンバーの技術、フィールドの広さ。完全に自由なドリルなど存在しない。
だからこそ、ドリルデザインは面白い。自由な発想だけではショーにならない。制限だけを見ていると、無難な動きに収まってしまう。その両方の間で、何を選び、何を捨て、どこまで攻めるのかを考える。そこに創造が生まれる。制限は、創造の邪魔だけをするものではない。むしろ、制限があるからこそ、形に必然性が生まれる。
途中から描き始めてもいい
ジンガリは、ドリルを必ず最初から順番に描く必要はないという考え方にも触れている。強いアイデアがある場面から描き始める。そこから終わりへと進み、さらに冒頭へ戻って全体を組み立てる。そういう創り方もあり、これはドリルを単なる時間順の作業としてではなく、ショー全体の構成として見ているからこそ出てくる発想。
実際の制作でも、最初から最後まで順番に進めるだけが正解ではない。クライマックスの形が先に見えることもある。ある音の瞬間に、どうしても創りたい動きが見えることもある。そこを起点として、前後をつないでいくほうが自然な場合もある。大事なのは、順番に描くことではなく、作品全体の流れがつながっていること。
不明確さから生まれる明確さ
ジンガリの考え方で面白いのは、明確さだけでなく、不明確さにも可能性を見ているところ。ドリルでは、きれいに整理された形や、誰が見てもすぐ分かる効果が求められることが多い。もちろん、それは大切。観客に何も伝わらなければ、表現としては届かない。だが、すべてが最初から明確すぎると、驚きや奥行きが薄くなることもある。
少し曖昧に見える状態。何が起こるのか分からない時間。整理されきっていないように見える動き。そこから一気に意味のある形が立ち上がると、観客の中に強い印象が残る。不明確なものを、ただ不明確なまま置いておくのではなく、不明確さの中から、どう明確な瞬間を生み出すか。そのギリギリの線を探るところに、ジンガリのドリルデザインの面白さがある。
点描とフィールド
クリニックの後半で、ジンガリはミュージカル『Sunday in the Park with George』に触れている。この作品は、点描で知られる画家ジョルジュ・スーラの絵画『グランド・ジャット島の日曜日の午後』をもとにしたミュージカル。点描は、近くで見ると小さな点の集まりに見えるが、離れて見るとひとつの絵として立ち上がる。これは、マーチングのフィールドにも重なる。
フィールド上のメンバーは、一人ひとりがひとつの点。近くで見れば、それぞれが自分の場所に立ち、自分のカウントで動いている。しかしスタンドから見ると、その点の集まりが大きな形になり、音楽と結びついてひとつの表現になる。ドリルデザインは、その点をただ並べることではなく、点の集まりからどんな絵を立ち上げるかを考えることでもある。点と全体。その両方を同時に見ることが、ドリルを描くうえでは欠かせない。
新しいものを創る不安
新しいことをしようとすると、不安が出てくる。これは本当にうまくいくのか。観客に伝わるのか。変に見えないか。今まで通りのほうが安全ではないか。ドリルデザインに限らず、何かを創る時には必ずそういう不安がある。特に、まだ誰も見たことがないものを創ろうとすると、その不安は大きくなる。
ジンガリは、それでも自分自身から出てくるものを信じることの大切さを語っている。もちろん、ただ思いつきを信じればいいという意味ではない。音楽を聴き込み、制限を見極め、作品の層を考え、観客に届くかどうかを考え抜く。そのうえで最後に必要になるのが、自分が選んだ表現へ進む勇気なのだと思う。新しいものを創る時、完全な安心はない。だからこそ、創り手の中にある感覚を信じる必要がある。
ドリルデザインの本質とは?
ジンガリの1986年の言葉から見えてくるのは、ドリルデザインとは、フィールドに図形を置く工程ではないということ。音楽を聴き込み、そこから動きを見つける。作品に層を創る。自由な発想と現実の制限の間で考える。時には途中から描き始める。不明確さの中から明確な瞬間を生み出す。一人ひとりの点を、スタンドから見える大きな絵に変えていく。それは、音楽と人間と感情を使って、観客に届く瞬間を創る作業。
ドリルを読み解くことは、ただ形を追うことではない。なぜその動きなのか。なぜその形なのか。なぜそこで集まり、なぜそこで広がるのか。そこにある音楽、意図、感情まで見ようとした時、フィールド上の形はただの図形ではなく、ひとつの表現として立ち上がってくる。だからこそ、ドリルはもっと深く、もっと面白い。
※本記事は、DCI公式Hall of Fame「George Zingali」、DCI公式記事「Remembering George Zingali」「50th Moments: The genius of George Zingali」、および1986年「George Zingali Clinic」映像をもとにまとめています。
by ボビー大槻(Bobby Ohtsuki)
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